残念ながら、健康保険では消毒・滅菌を十分にできません。
2014年5月19日に「歯削る機器 7割使い回し 院内感染懸念」という記事が読売新聞に出ました。その後、歯科医院での感染対策が不十分であること(グローブ使い回しなど)について、度々メディアで指摘されました。
これを受けて、ついに2018年4月の歯科健康保険点数改正より、滅菌についての歯科保険点数が新たに設けられました。
滅菌に関する新点数
- 歯科初診料 2,340円 → 歯科初診料(届出) 2,370円 (無届) 2,260円
- 歯科再診料 450円 → 歯科再診料(届出) 480円 (無届) 410円
以上のように保険点数が改定されました。届出が滅菌を行う医療機関での保険点数、無届が滅菌を行うと届出していない医療機関です。簡単に書くと、患者1人1回の治療につき、滅菌を行うためのコストとして30円追加でもらえますということと、滅菌をちゃんとしないとペナルティとして初診で80円の罰金、再診で40円の罰金ということです。
そして、国が求める滅菌の基準(他にもありますが、今回は毎回行うことのみ抜粋)は以下の通りです。
- 歯科医療機器等に対する患者ごとの交換や専用機器を用いた洗浄・滅菌処理を徹底する等の十分な感染症対策を講じていること。
では、上記条件を満たすために、どれくらいコストがかかるでしょうか。
1回の治療ごとにかかる消毒・滅菌の費用について。
使い捨ての材料費から計算していくと分かりやすいので、そこから順番に計算していきます。もちろん贅沢レベルではなく、必要最低限の激安品で計算します。ちなみに、当院では徹底した消毒・滅菌を目指していますので、以下の数十倍のコストがかかっています。
- 紙コップ:2円
- 紙エプロン:2円
- 紙トレー:5円
- 術者のグローブ1ペア:10円
- アシスタントのグローブ1ペア:10円
- 歯科基本セット(ミラー、ピンセット等)の滅菌バッグ:3円
- チェア清掃のためのグローブ1ペア:10円
- チェア清掃用除菌クロス2枚:10円
上記が患者さんがチェアに座った瞬間(処置を全くしない)にかかる消耗品のコストです。合計52円なので、既に30円を超えています。
当然ですが、ここからさらに処置を行うと、使用する使い捨ての材料は上記以上に大量に出ます。
ハンドピース滅菌のコスト
保険診療なので、一人当たりの治療時間を短くして、患者さんを沢山診る必要があります。例えば、患者さんを1日30人見るとします。1日3回滅菌を行うとし、ハンドピースの種類はタービン、コントラ、ストレート、エアスケーラーの4種類(実際はもっと多いです)とします。この条件で、ハンドピースは40本必要です。1本当たり大体8万円導入コストがかかりますので、40本そろえると320万円かかります。
滅菌する際、高温蒸気(121度以上)で加圧するのですが、、ハンドピースは精密機械のため、滅菌操作によりパーツに負担がかかり寿命が短くなります。毎回滅菌していると、私の実感で2~3年ほどで調子が悪くなってきますので、3年で買い替えと考えます。週休2日で年間250日営業とすると、患者さん1回診るために必要なハンドピース代はおよそ142円です。
また、オートクレーブと呼ばれる機械を使用して滅菌を行いますが、クラスSの安いもので1台25万円します。1日30人の患者さんのハンドピースを滅菌するとすれば、2台は必要です。結構すぐに調子が悪くなりますが、5年くらい持ってくれたとします。患者さん1回診るために必要なハンドピース用オートクレーブ代はおよそ13円です。
オートクレーブを使って、スタッフがハンドピースを滅菌するときのコストを計算してみます。1日30人の患者さんのハンドピースを滅菌するために、スタッフ1人超スピードで作業を行ったとして、1日あたり1時間かけたとします。スタッフの時給を900円(今時900円では雇えませんが)だとすると、患者さん1回診るために必要なスタッフの人件費はおよそ30円です。
以上を合計すると、患者さん1回診るために必要な最低限のハンドピース滅菌のコストは約185円です。当たり前ですが、30円では足りません。こんなことは、小学生でも分かります。
ちなみに年間のコストは約139万円です。このコストは丸々保険点数が足りないので、健康保険でハンドピースを滅菌するまじめな歯科医院は年間139万円患者さんにサービスしていることになります。開業してから引退するまで35年とすると4865万円患者さんにサービスすることになります。歯科医院の年間の売り上げのボリュームゾーンは3,000万円くらいですから、ハンドピースを滅菌するとそれだけで歯医者人生の中で1年半以上ただ働きするということです。
ハンドピース以外の器具の滅菌のコスト
新聞でハンドピースの滅菌が問題になりましたので、そればかり印象に残っているとは思いますが、他の器具もかなりの滅菌のコストがかかります。種類が多するので計算はしませんが、歯科用器具は1個で数千円から数万円するものが多いです。また、滅菌をしっかりやるためには手間がかかるためにスタッフを増やす必要があり、徹底すればするほどどんどんコストが上がります。
環境清掃のコスト
器具の滅菌以外にも、清潔な環境を作るための環境清掃を行わなければなりません。もちろん、専用の設備や材料も必要になるし、地道に室内を清拭・掃除する作業が多いので、どんどん人件費がかかります。
上記は最低限であり、徹底すれば青天井でコストがかかります。
「歯科医療機器等に対する患者ごとの交換や専用機器を用いた洗浄・滅菌処理を徹底する等の十分な感染症対策を講じていること。」保険点数の算定要件に書いてありますが、徹底するとなれば、当院で行っているような感染対策となり、それは当Webサイトで書いてある内容です。
読んでいただくとわかりますが、どれだけ機械代・材料費・人件費がかかるのだろうか、滅菌って大変なんだなぁと何となくでも想像していただけるなら、当院としてはうれしいです。そして、どう考えても30円では無理です。
なぜこのように実行不可能な診療報酬なのか。
根本には、医療費を抑制したいし、そもそも人が死なない歯科に予算を回したくないという国の思惑があります。しかし、あれだけハンドピースの滅菌でマスコミで騒がれた以上、国としては放置するというのは体裁が悪いので、健康保険に組み込んだということでしょう。
実際には、低すぎる診療報酬のため上記のように実行不可能なのですが、診療報酬を受け取っているのに、滅菌しないのは歯科医師が悪いと責任転嫁をするためです。そのため、滅菌を行うかどうかは届出制になっているのです。
ちゃんと滅菌すると届出して、30円もらっているのに、ちゃんと滅菌していないのは不正請求で歯科医師が悪い。30円ではちゃんと滅菌できないというのであれば、届出しなければよい(届出しないとペナルティがあるのに)という理屈なのです。
歯科医師にも生活があります。稼がなければ、ご飯が食べられません。患者さんのために尽くしたいと思っても、限度があります。日本では医療者は自己犠牲しなさいという風潮がありますが、ない袖は振れません。一般的な歯科医院で、保険診療内で滅菌をしっかり行うのは不可能です。
そもそも、保険診療では滅菌に限らず、全ての治療で低点数すぎて同じような状況ですが…。歯科の健康保険システムは、恐らく一般の方が想像出来ないくらいひどい状態になってしまっています。
※参考:どくらぼ 医療保険制度を知れば、歯医者さんの費用が見えてくる!(非常にわかりやすく日本の保険制度について書かれています。)
では、患者さんはどのようにして身を守ればよいか。
そもそも保険診療では、しっかりと滅菌することは不可能と説明しました。しかし、そうは言っても激安の治療費です。ハンドピースも滅菌は無理でも、ウェットティッシュで拭くくらいはしてくれるかもしれません。飲食店でのフォークやナイフも滅菌されているわけではありません。見ないふりをして受け入れるということもひとつの考え方です。
安全な治療を受けるために絶対に滅菌をしっかりして欲しいという方は、自由診療メイン(自由診療の比率が70%以上)の歯科医院、または自由診療しか行っていない歯科医院でかつ滅菌に力を入れている所で治療を受けることしか、今のところ選択できないのではないでしょうか。